山口県防府市
山口/国道2号 広島行
ルート2防府セルフサービスステーション
山口県の中間部に位置するルート2防府セルフサービスステーション(以下SS)。市街地へ続く国道2号線沿いで、ICの近くということもあり、周南方面・小郡方面・山口方面・宇部方面などさまざまな地域のお客様が来店します。2号線沿いの正面入り口のほかにSSの裏の道路にも出入口があり、そこから出入りする地元のお客様も多いです。
ルート2防府セルフSSの自慢は、充実した洗車機。2台のドライブスルー洗車機やセルフ手洗い洗車機3台のほか、トラック用の大型洗車機があります。防府市内で洗車機の設備が整ったSSは数が少なく、年末や黄砂が舞った翌日などは洗車機に行列ができることもあるそうです。
マネジャーの松井作之介さんは山口県出身で、山口県内に3店舗ある吉田石油店すべてで勤務経験があります。フルサービスとセルフサービスの両方を知る松井さんは、セルフの強みを「お客様との距離の近さ」といいます。フルとセルフの大きな違いは、お客様が車から外へ出るか出ないか。セルフではお客様は必ず車から降りてガゾリンを入れます。その時にお客様と会話をしたりエアチェックを呼びかけたりなど、近い距離での接客ができます。しかし、「フルサービスは全てのお客様に接客ができますが、セルフではタイミングが合わず全く接客できないお客様もいます。このSSの良さが伝わらないままになるときが悔しいですね」と松井さん。
SSの魅力を知ってもらうために、ドライブスルー洗車機を利用したお客様に「燃料値引きクーポン」をご案内しています。2017年6月に洗車機の入れ替えがあり、洗車機のレシートに燃料の値引きクーポンが付くようになりました。SSに入ってすぐのところに洗車機があるため、洗車のためだけにSSを利用するお客様も多くいます。しかし、レシートにクーポンが付いていることを知らず、そのまま帰る人も少なくありません。もっと多くのお客様に知って頂くために、できる限りスタッフは洗車機の前で待機し、お客様に新しくなった洗車機を説明したり、レシート付きクーポンの案内をしたりしています」。洗車のお客様をガソリン給油へつなげられるような接客を目指しています。
また、松井さんはスタッフに常々「リスク回避」について声をかけています。特に、トラック給油でのキャップの締め忘れやYDCカードの返却忘れの防止についてです。「お客様を安全にお見送りするまでがSSの役目。ノーリスクが次の利用へも繋がると思います」。
地元のお客様には古くからの付き合いの人もいて、名前を呼んでくれたり、指名してくれる人もいます。「あの洗車機の表示、わかりにくいよ」など教えてくれるお客様もいます。自分たちで気づかない部分を教えてくれるのは、お客様の身近なSSになっているのでは」と松井さん。スタッフがエアチェック中にパンクを見つけたときは、1時間後に「助かったよ」と自宅で採れた野菜をお礼として届けてくれたこともあったそうです。
ルート2防府セルフSSは洗車ができるSSという「洗車だけ」のイメージが強いそうです。オイル交換やタイヤ販売などのその他の部分も強化していき、いずれは九州支店を引っ張っていくSSになることが目標です。「そのためにも、まずは接客。笑顔のあいさつひとつで、お客様の表情も変わりますからね」。
新しくなったドライブスルー洗車機。黄砂の舞った翌日は行列ができることも!
トラックはフルサービス。手際よくスピーディにこなします。
お兄さんに教えてもらいながら、ラブちゃんもトラックの窓拭きに挑戦!
セルフのお客様にはエアチェックを積極的に呼びかけます。
ウォッシャー液の補充など、気になることはなんでも相談してください!
また来てね!
わたしたちの街
山口県防府市
本橋から見る佐波川
毛利邸庭園の紅葉
阿弥陀寺のあじさい。6月から見頃を迎える
山口県の中央部に位置する防府市は、県内最大の防府平野を持ち、瀬戸内海の美しい海岸線に面しています。市内を流れる一級河川「佐波川(さばかわ)」から豊富な栄養が流れ込む防府沖は遠浅で、昔から鱧の産卵地として適しています。
6月には東大寺別院阿弥陀寺であじさいまつりが行われます。境内に80種4000株が鮮やかに咲きほこります。境内のあじさいは昭和50年頃から植え始め、商工会議所の青年部や有志の協力で「西のアジサイ寺」を目指して植樹活動が続いています。
また、2011年に国の重要文化財に指定された毛利邸は、江戸時代の大名邸の建築様式を継承した書院造の和風建築で、春は梅や桜、秋には紅葉を見る人で賑わいます。邸宅の一部は博物館になっていて、貴重な史料などが所蔵されています。
スタッフいちおしの『スポット』
防府天満宮
防府天満宮
秋の御神幸祭
高杉晋作辞世の句 「面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり」
学問の神様・菅原道真を祀る防府天満宮。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで「日本三天神」の一つとされています。
学者の家系に生まれた道真は帝からの信頼も厚く、右大臣を任されましたが、左大臣・藤原時平の陰謀で太宰府へ左遷されました。太宰府へ向かう途中、周防国の勝間の浦で「ここは都から離れていない。ここに居を置きたい」と願うも叶わず、太宰府で薨去されました。その日、勝間の浦の港に西の空から五色の光が射し、酒垂山の空には紫色の雲が棚引きました。人々はこれを道真の魂が光となり、雲となってこの地に帰ってこられたと悟り、酒垂山に祠を建立しました。これが防府天満宮の創建とされ、日本で最初の天神さまと言われています。
11月には西日本屈指の荒祭りとして知られる「御神幸祭」があります。道真が薨去した100年後、一条天皇により無実の罪が奏上されたことから、毎年お御霊を慰める壮大な祭りとなっています。はじめは大行司・小行司など限られた家柄だけに奉仕が許されていましたが、江戸時代後期からは身の潔白を示すと参加が認められるようになりました。潔白の証として佐波川の冷水で身を清め、そのままの姿で奉仕するところから「裸坊」と呼ばれるようになり、御神幸祭のことを裸坊祭とも言います。
また、防府天満宮の境内には道真を崇敬していた高杉晋作の辞世の句もあります。
御神幸祭のほかにもイベントが多く、年間を通して多くの参拝客で賑わいます。
松井作之介マネジャー